Maserati Passion

Maserati Passion

マセラティ本社

マセラティの本拠地は、モデナ市ヴィアーレ・チーロ・メノッティに位置します。

1940年以降、マセラティはモデナ市ヴィアーレ・チーロ・メノッティに本社を構えています。当時の面影を残す赤レンガ造りの工場は今もなお本社ビルの核を成し、その周囲を囲む形で新しい近代的ファクトリーが拡大しています。

マセラティ本社

ファクトリーは敷地が4万m2以上(正確には4万3,349m2)におよび、そのうち建築面積は2万6,000m2。ファクトリーは全面リノベーションをしており、最終的には建築面積が3万2,000m2を超える予定です。
秀麗な赤レンガ造りの旧建築物と向かいあってそびえ立つのは、オフィスとショールームを収容する高層ビルです。本社敷地の北側には、内部を改装した社員用の大規模な駐車場が広がっています。

マセラティ本社

品質と生産基準の向上に向けて製造ラインにも全面的な近代化を施しており、現在は26のワークステーションでクアトロポルテとグラントゥーリズモを製造しています。

このような近代的テーマは、試運転やエンジン、車両テストを行うテストベンチを収容するパドックにまで及びます。車両は全世界に広がる正規代理店ネットワークに送り出す前に、一台一台、厳格なテストを課しています。

マセラティ レパルトコルサ(レース部門)は、公道走行車両を開発するR&D部門のあるヴィアーレ・デレ・ナツィオーニに位置します。

ファクトリーツアーのご案内

モデナ市ヴィアーレ・チーロ・メノッティにある、1940年からマセラティが本拠地とする本社をご案内するツアーでは、マセラティオーナーの皆様を名車を生み出すファクトリーにもお連れいたします。

製造ラインだけでなく、伝統や、情熱を帯びたクラフツマンシップ、最先端技術が一体化し、比類なき名車に命を吹き込むエリアもご案内いたします。

ファクトリーツアーのご案内

ツアー受付は予約制になります。国際的に評価の高いデザイナー、ロン・アラッドの手による瀟洒なショールームで新車をお引き渡しするその日に合わせて、ツアーをアレンジすることも可能です。詳しくは私共ショールームスタッフまでお申し付けください。マセラティのオーナー様方にはぜひお楽しみ頂きたいプログラムの一つです。

マセラティの歩み

長きにわたる、輝かしいヘリテージがマセラティの誇りです。
マセラティの前身であるアルフィエリ・マセラティ工房は1914年12月1日、イタリアのボローニャで設立されました。マセラティは以降、一貫してスポーツカー・カルチャーの歴史とその発展に重要な役割を担ってきました。ほぼ1世紀の歴史のなかで、マセラティはロードカー、レーシングカーの双方で栄光の記録を打ち立ててきましたが、それ以上に苦難も経験してきました。そして、これによってマセラティのキャラクターと個性が構築されることとなりました。

マセラティの歩み

マセラティ兄弟

マセラティの7人兄弟は、機関士ロドルフォとカロリナ・ロッシの間にパヴィアで生を受けました。
長男のカルロが1881年に生まれ、1883年にビンド、1885年にアルフィエリが続きました。残念ながらアルフィエリはわずか数か月で亡くなり、両親は1887年に生まれた四男にも同じ名前をつけました。さらに1890年にはマリオが、1894年にはエットーレが、1898年にはエルネストの3人が生まれました。

マセラティ兄弟

兄弟は次々に車のエンジニアリング、設計、製造の世界に入りましたが、絵を好んだマリオだけは例外で、ボローニャのネプチューン広場の銅像をもとにマセラティのシンボルとなったトライデントエンブレムを発案したとされています。

マセラティ兄弟

創業期: 1914年 ~1937年

第一次大戦後、同社はペポリ通りから、ボローニャ郊外の新オフィスに移転しました。
マセラティ兄弟は、依然としてイソッタ・フラスキーニの車のチューニングを主業としていましたが、他の車種も手掛けていました。
アルフィエリは、レーシングドライバーとしてのキャリアをスタートすると瞬く間に頭角を現し、スーザ―モンチェニージオ、ムジェロ・サーキット、アオスタ―グラン・サン・ベルナールで勝利を収めました。ディアットは彼に車をデザインするチャンスを提供したうえ、レースでも手を組みました。残念ながら、1924年にサン・セバスティアーノ・グランプリで好成績を挙げた後、アルフィエリは5年間の出場停止処分を受けました。彼はリタイアしていましたが、自車の2リッターエンジンを3リッターエンジンに載せ換えていたからです。もっとも、この処分は数カ月後に解除されました。

創業期: 1914年 ~1937年

黄金期:1937年~1967年

1937年、マセラティ兄弟は自社株式をモデナのオルシ一族に売却しました。
これに伴い、会社はボローニャからモデナ市ヴィアーレ・チーノ・メノッティの現在の歴史ある本社に移転しました。兄弟の一人エルネストはすでに1930年代後半に活躍したレーシングカー4CL、8CLに搭載された同名のエンジンを開発しており、マセラティ兄弟は1948年までモデナでチーフ・エンジニアとして在籍しました。
マセラティはメルセデスの執拗な追い上げにもかかわらず、再びレーシング界を席巻。1939年5月30日には8CTFを駆るウィルバー・ショウが命運のかかったインディアナポリス500マイル・レースで優勝し、翌年は連覇を成し遂げました。

黄金期:1937年~1967年

1955年、56年にもマセラティは重要な優勝を果たし、1957年にはマセラティに復帰したファンジオが250Fで5年連続となる世界タイトルを獲得。マセラティに初の世界タイトルをもたらしました。
マセラティはまさにその年、正式にレースからの撤退を表明しましたが、完全に姿を消したわけではありません。その後もバードケージをはじめとするレーシングカーや、プライベートチーム向けプロトタイプの開発を続行。1965年にはトリプル・イグニッションの12気筒、3バルブエンジンをクーパー向けに開発するなど、他社の製造するF1レーシングカー向けエンジンの供給も続けています。

マセラティに画期的な新時代が到来したのは、1958年の3500 GTの生産開始でした。これによってファクトリーは拡張を迫られ、自動車の生産・販売がマセラティの最優先目標となり、レーシング活動は二次的なものとなっていきました。
1962年にはセブリング(Sebring)が誕生。排気量4,136 cc、バンク角90°のV8エンジンを搭載したマセラティ初の4ドアサルーン、クアトロポルテは1963年に生まれました。

黄金期:1937年~1967年

現代:1968年~現在

1968年、アドルフォ・オルシがマセラティの名誉会長として残る一方で、オルシ一族の保有するマセラティ株式をシトロエンが買い取るという大きなニュースが飛び込んできました。1980年代には、比較的手ごろな価格でありながら抜群のパフォーマンスを持つ新しいタイプの車、ビトゥルボの生産が始まりました。1993年には転機が訪れ、マセラティはフィアット オートに全面買収されました。翌年、フィアット傘下に入って初めて発売されたのがクアトロポルテでした。マルチェロ・ガンディーニの手になるクアトロポルテは、洗練性、ラグジュアリー感、スポーツ性の極みを尽くし、マセラティブランドの真価を発揮しました。

現代:1968年~現在

2003年9月のフランクフルト・モーターショーでは、マセラティのとどまるところを知らない勢いの中核を成すことになるモデル、マセラティ クアトロポルテが発表されました。この新型サルーンはたちどころに商業的成功をおさめて数々の賞に輝いたほか、世界各国のクライアントや読者、メディアから幅広く賞賛を得ました。2005年はマセラティにとって記念すべき年となりました。全世界での販売台数が5,659台と、目覚ましい業績を上げていた前年の2004年から22.8%増加し、新記録を達成したのです。

現代:1968年~現在

販売台数が518台を数えるのみだった1998年に導入した数々の施策が奏功したことが、自然と証明される形となりました。2005年初めにマセラティの経営権がフェラーリからフィアットに移ったことにより、両ブランドがアルファロメオと製造上、販売上の両面で重要な相乗効果を上げることが可能となりました。とりわけ2007年の好業績は、グラントゥーリズモが再び黒字化したことによるところが大きかったです。グラントゥーリズモは日常的に使いまわせる車です。ハンドリングに優れ、スポーティな走りは人を魅了する。居住性も軽視されておらず、選りすぐりの素材、細部へのこだわり、大人4人がゆったり座れる贅沢な室内スペースのいずれもが、グラントゥーリズモをこのクラスのアベレージを超えた存在にしている。国際的メディアは大ヒット間違いなしと報じ、数多くの雑誌の表紙に登場したグラントゥーリズモに賞賛を浴びせました。

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